イタリア紀行第4章 〜序章〜

「もうあの土地へは2度と行く事はないだろう」失意の帰国(密入国)を果たした私は胸に大きな傷跡だけを残し、その後日本へと帰ったのである。あのイタリア遠征から早くも2年が過ぎようとしていた。そんなある日、長期出張で南ドイツに訪れている私の目に、Redsの掲示板で部長からのイタリア遠征参加者募集の書き込みが飛び込んできた。日程は12月4日〜6日。私のドイツ滞在スケジュールにあわせてくれたかのような、今回のツアーの企画。これは罠か、それともリベンジのチャンスか?
ドイツへは出張で訪れているため、エクストラの休みが取れない私は、どうしても5日にはドイツへ戻らなければならない。「やはり今回は無理か…」半分あきらめていた私の背中を押すように、今回初のイタリア参戦を早々と決めたY口さんの、「なんとかなりますって。なんとか。」攻撃。この悪魔のようなささやきに心奪われた私は、一抹の不安を残しながら、今回のツアーの最後の参戦者に名乗りをあげたのであった。今回の参戦者は、経験豊富、冷静沈着な行動でツアーを引っ張る部長、Reds最強ドライバーだったS藤さんの意思を引き継ぎイタリアの街を駆け巡るドライバーY口、何かやってくれそうな気配がムンムン、東欧に強いN井、そして傷ついた子犬の私、計4名がエントリーしてきた。私と同じ傷を負った部長はすでに昨年にリベンジを果たしているため、傷が癒えていないのはすでに帰国をされているS藤さんと私の2名だけとなっていた。

伊太利亜」これが今回の私達のプロジェクトキーコードであった。これもイタリアというお国柄なのか、セリエAのスケジュールは試合の10日前あたりにならないと最終の時間が確定しない。そんな事もあり、週末だけを使って遠征するする欧州組には本当に壁が高いリーグである。飛行機やホテルの予約、観戦チケットの手配がギリギリまでかけられない。そのような情報のやり取りが「伊太利亜」の件名のメールで参加者の間で何度となく取り行なわれたのであった。一度背中を押されて第一歩を踏み出した私のその後の行動は早かった。「なんとしてでもリベンジを果たす」そんな私の強い意思が、チケット、試合時間がどうなるかもわからないまま、早々にフライトを予約させたのであった。

それにしても今回のツアー、あまりにも2年前の「悲劇」のツアーに似ている。いや、似すぎている。12月の第一週末の遠征であること、土曜日20時半キックオフのサンシーロでのゲーム観戦、帰国を間近に控えた参戦者がいる(Y口さん)。そしてなによりも、トラブルメーカー的な役割りを充分に果たしている私が参戦している事。これまでのイタリア遠征では、第1章の参加者パスポート期限切れ事件に伴う国境での三角コーン巻き込み事件、第2章のサンシーロの悪夢、数々の伝説を残してきた。そして今回、これだけの条件が揃っていて何も起きないはずがない。足りないものは中途半端に長い黒靴下と白いブーメランパンツだけである。ツアーのスケジュールはY口さんの入念な調査の甲斐もあり、順調に進んだ。ホテル、レンタカーの予約などなど。観戦のチケットも部長のお力添えもあり、私達の宿泊するホテルに届けられる事になった。期は熟した。あとはリベンジを果たすのみ。そしてとうとうツアーの日がやってきた。他の参加者とマルペンサ空港で再会をするべく、朝7時15分、私はシュツットガルト空港を飛び立ったのであった。(早くサッカーの話を書けよ!といったクレームなしでお願い致します。)

続く